アメリカの権利運動と帝国主義

私は今こういうことを書くのが、果たして、将来的にはどうなのか、分かりません。

それから、実際に何か行動している人に、どういう影響を与えるのかも、分かりません。

なのでここでは、実際に何か行為を行っている人や当事者と言うよりも、言説とそのあらわれ方、およびその性質について述べようと思います。

ある特定の言説が力を持つには、政治状況が無縁ではないそうです。

ここでは、男性の同性愛者権利運動の最近の言説が、女性にジェンダーを強いる面があり、帝国主義的側面があると言うこと、そのような言説とアメリカの政治状況は、関係あるのでは、ということも、提起したいと思います。

男性は、いままで女性と結婚して、産んでもらって「子どもを持って」きました。

だけど、男性同士で結婚して子どもを持つと言うことが、お金さえ払えばできるようになりました。

男性同士では、ほとんどの場合子どもはできません。これは男性にとっては、脅威です。

そこで、何としても、女性に果たしてもらわなければならない役割があります。それは、ジェンダーだと思います。

従来の性別役割分担から、女性が自由になってしまうと、まず男性は女性と結婚して子どもを持つことができなくなります。そして、男性と結婚した場合にも、子どもが持てなくなります。

これは、大きな危機と捕えられているのではないでしょうか。「結婚して子どもを持つ」のが当たり前の権利とされない社会は、それが当たり前と思っている男性にとっては、恐怖です。

大きな不安に見舞われているこのときに、結婚せず、子どもも産まない女性は、いては都合が悪いので、創り出されたのが、「子供が産めずに不幸だったけど、今は持てるので幸せな女性同性愛者」ではないでしょうか。

「女ことばと日本語」という本に書いてあったのですが、帝国主義は、異民族の抑圧など、脅威にさらされた男性にとってしばしば強められ、女性にはジェンダーが強化されるそうです。で、未来には男性、過去には女性があてはめられるんだそうです。

女性が、どの性別相手だろうが、結婚して出産することが、あたかも「自然」であるかのように宣伝され、このようにして女性に対するジェンダーは不変のまま残ります。

そして、男性はその「自然」に「科学」と「技術」をプラスし、「未来」として「男同士で」「技術で」子どもを持つことが、「自然」の延長上の「権利」とされてしまいます。

「技術」と言ったって、産んでいるのは女性だし、貧困や女性差別がなければできないことなのですが。

「幸せ」という価値を付けられることによって、そのような言説自体への反論が封じられ、当事者もそれに従わざるを得なくなるとしたら、困ったことなのではないでしょうか。

こういうことを言うと、次のような反論が付きます。

代理母はリスクがあると言うけど、仕事や産業なんてそんなものだ」

でも、私はそれだからこそ、産業というモノは問題なのだと考えます。

女性が子どもを産むことを何かの手段として扱うことは、その体験を本人からも阻害するために、いろいろなことをする、ということです。

帝国主義の側面のない権利運動を望みます。

権利運動がだめだとは言っていません。だけど、当事者に無駄な分断を起こさせたり、声を上げられるものだけの意見が通ったり、すでに既得権のある人がそのまま特権を維持できて、社会が変わらないようなことは、私は望みません。そして、「幸せ」と言う価値観によって、目に見えなくなった支配に、またさらされることになるのなら、それは権利や解放ではないと思います。

 …なんだけど、こういうことって、一日何時間も考えて、本を何冊も読んで、仲間もわんさかいる人たちの方が、よっぽど知ってるはずなんですよね。

やっぱりマスコミが、特定の方向に合っている物事しか、取り上げないのが大きいと思います。

そういうのも含めて、言説というのは、勝手に立ち現れてくるものではないんだと思います。日本はなんでもアメリカのまねをするけど、ほんとはそれだけじゃないはずなのにね。

それに、今まで男性と結婚して子供を産むのが女性の幸せと言われて、それ以外を選択すると不幸になると脅されてたけど、そんなことない、と思って生きてきた人間にとっては、「女性と結婚して子供を授かるのが幸せ」は、かなり、なんというか辛い言説ではあります。

言ってる方は、自分たちはヘテロだったり、同性愛者だったり色々するんだろうけど、基本は善意なんだろうと思う。思うけどね。

 

 

「さかさまのパテマ」と「アナと雪の女王」…帝国の創造・存続

アニメ映画「さかさまのパテマ」と「アナと雪の女王」。今日はこの二つの映画の共通点について書こうと思います。

もう表題で言っちゃったけど、どちらも帝国主義っぽいと私は思う、ということです。

一つは帝国の創造・もう一つは、帝国の存続をテーマとしている映画、に私は見えます。

「さかさまのパテマ」も「アナと雪の女王」も、ネタバレします。だから、見たい人は、先に見てください。前者はネットで見れます。youtubeにあります。

だけどあらすじをちょっと。

アナ雪は有名だから、ここでは書かないけど、逆さまのパテマの方について書きたいと思います。

なんか、近未来っぽい感じの都市に、エイジって言う思春期の男性が住んでいます。彼はある日、原っぱに唐突に開いている穴に、張り巡らされているフェンスに、ガの様に引っ付いた女の子と出会うのでした。名前はパテマ。ガじゃありません。でも軽い女の子、ではないマイナスの重量しか、この世界では持っていない。そしてエイジはパテマを、小屋にかくまいます。

そしてパテマを追う、エイジの住む世界の支配者(名前は忘れた)。仮にXさんとしておきましょう。そのXさんの部下の、独身っぽいオヤジさん(なんて矛盾した物言いだろう)。彼らはやがて、パテマをとらえ、エイジに屈辱を与えます。椅子を蹴飛ばして床にぐりぐり、顔を押し付ける様はそのまんま、バイオレンス(略してS・M)って、もういいか。

そんなわけで、ていうかなんでパテマが追われてるかと言うと、よくわからないけどエイジたちの知らないもう一つの世界の住人だからです。その世界からはかつてパテマの保護者みたいな人がやってきて、で、エイジの世界でエイジの父親と出遭い、ともに「空」を目指すんだけど、どっちもやられちゃいました。空はエイジの世界ではなぜか「罪びとが落ちる」ところとされ、タブーだったからです。

ややこしいなー。で、捕えられたパテマを救おうと、騎士よろしく「塔」にやってきたエイジ。それをサンチョみたく助ける、パテマの友人。そして、当のてっぺんに追い詰められた二人は、まるで「聖母」のようなパテマの自己犠牲的な行動によって助かり、上空へ。そこにあったのは、父たち(?)二人の思いの詰まった、飛行装置でした。

全てを知る二人…って、なんていやらしい言い方だ!書くのが恥ずかしいだよぉぉぉー!(じゃあ書くな!)。

実は、「空」は偽物だったのです。二人は飛行装置と一緒に、今度は最初パテマがやってきたどてアナから、パテマの住む世界へ。(この辺りは記憶があいまいなので、もしかしたら違うかもしれません)。ところがそこにも追手がやってきて…。

以下最高のネタバレ。

パテマの住む世界から、さらに「上」へ、つまりエイジたちの世界とは正反対の方向へ、飛んで行ったエイジとパテマ。追っ手に追い詰められたエイジ。「落ちて」行こうとするパテマを必死でつかみ、対峙しますが、どうなる事か?その時、飛行装置が「天井」を突き破り…

そこにあったのは、新しい世界でした。壊れたビル。飛ぶ鳥。本当の世界とは、実はこれだったのです。青空へと消えていくXさんの姿が哀れ。「天空の城ラピュタ」みたいですね。

ともかくパテマとエイジは助かりました。助けてくれたのは、あの地味なオヤジです。網で。

パテマはエイジを「地面」につなぎとめる役割を自ら負うがごとく、歩いていくのでした。あわて顔のエイジを、そう「さかさまの」エイジを捕まえて。

 

長かった。アナ雪との共通点を書きます(もう息切れ)。

パテマとアンナが、同じ役割を負っていると言うことです。

アンナがエルザを、パテマがエイジを背負ったように、女性の存在をその存続に必要としている何かが、あると言うことです。

それは、帝国主義だと、私は思います。

パテマがその服装から過去を連想させ、アンナが昔風の服を着、過去の女性の性役割を負うことを予想させるのとは、男性的な未来と、女性的な過去という、帝国主義の図式を表しているからではないでしょうか。

「女ことばと日本語」に書いてあったのですが、帝国主義は、過去と未来に向かう必要があるという、矛盾を抱えているんだそうです。そして、その矛盾を解消するために、女性には自然、過去、などが、そして男性には未来とかがあてはめられるんだそうな。

 「エイジ」は、時代と言う意味です。それが逆さまと言うことは、これと同じ図式を表しているのかな?パテマは、「父」(パト)と、「母」(マテ)の合成の名前で、あまり彼女の個性とか、考慮されていないのかな?などと、妄想が進みます。

パテマの父?とエイジの父は、男二人の夢をかなえることができませんでした。二人の関係は、一見対等だけど、実はどうだったかわかりません。対等だ、と言いたいのはわかるんだけど。その夢をかなえるためには、つまり「ホモソーシャル」な欲望が、夢が、かなうには、そして「罪びと」の名を着せられずに世に現れることができるためには、女性の性別役割が必要だったのです。

いつでも男性よりは立場が弱く、過去に属しながらその正当な継承者ではなく、男性に「世界」の正当な継承者としての役割を与えるために存在する、都合の良いどれい。

これはアンナも同じで、エルザよりは弱く、王国の正当な継承者ではない上に、エルザを帝国の正当な継承者にするため、子どもを産む存在とみなされている。

そして、エルザが帝国の継承者になるのは、実はハンスとトナカイみたいな、「男二人の欲望」が世に認められるための、いわば都合のいい方便である。

と、私は考えます。

アンナがいなくなっちゃったら、あの帝国終わりですからね。重たいねー。ほんと。

というわけで、終わります。

 

 

 

過覚醒状態?

私は以前、とあることで、過覚醒状態になったことがあります。なんか、寝なくても平気、食べなくても平気、やたらと元気で、なんでもできそうな気がしていました。

自分では別に、変だとは思っていませんでした。自分は本当はこうなんだ、だからこれがずっと続くんだ、と思っていました。

でも生活のリズムができてきて、睡眠時間も確保できるようになると、だんだんと元に戻っていきました。5か月ぐらいかかったかなと思います。

通常と異なる異常な事態に対して、そういう反応が起きているんだから、別に自分で不自然だと思わないのは、当り前かもしれないけど、戦争なんかで人が変わってしまうというのも、これと似た現象なのかなあと思いました。

人間は環境に適応するために、自分で気づかないうちに変わってしまうこともあり、周りもその影響を受けざるを得ないのかもしれないなあと思いました。

大阪の留置場から、脱走した人がいるそうだけど、その人も過覚醒状態なのかもしれないと思います。

普通、ああいうところから逃げてやっていけるとは思わないと思うけど、捕まるとかあるいはほかのいろんなこととか、留置されたことで過覚醒状態になっていたのではないのかな?と思いますがどうなるんでしょうね、分かりません。

 

笹で魚が釣れた

ネットで、笹などを釣り竿にして、魚が釣れると書いてあったので、やってみたら釣れました。

持って行ったもの・ナイフ、タコ糸、錘

買った物・ハリス付きの釣り針・ちくわ

このうち「錘」は、淡路島の海岸に落ちていた焼き物です。灰色で、平たい、5センチぐらいのもの。穴が開いていて、糸を通せば錘に使えます。もしかしたら、昔の錘?似たような材質で、綱を通せる錘も、見たことがあります。

釣り場の近くの山に入ろうとすると、「どこへ行くのですか」と止められました。公共施設の工事のため、立ち入りが禁止されてるらしくて、仕方なくもう一つの谷筋に移動しました。

笹って言っても意外となくて、強く曲げたら折れるような、笹なのか草なのかわからない植物の、例外的に太い奴があったので、それをナイフで根元から切り、釣り場まで持って行きました。葉っぱなどが枯れていたので、特にすることはありませんでした。なんか不気味な廃屋が怖かったです。

タコ糸を先に結び、あとは糸の先に、錘と釣り針を取り付けました。

後は魚のいる場所に垂らすだけです。アジやサバは、ちくわでも寄ってきます。焼いた鯖なんかでも争って食べます。ただし、サバも来ます。そして共食いの報いか、サバが良く釣れるのでした。。ただし小さい奴。

一匹サバを釣り上げたら、次はそれを切り刻んで、釣りを続けます。でも今回は失敗でした。なぜなら、場所が悪くて釣り上げた魚がみんな臭かったからです。

200円払っても、突堤の先に行けばよかった。けど一人だけ、笹って言うのが恥ずかしくて、物陰で釣ってたのが災いしました。

それと最初に、低い場所で釣っていたので、タコ糸の長さを短めにしてしまったことが、失敗の原因でした。

高い防波堤の上からでも、笹で釣れるのだろうか。次はそれが課題だと思います。

まあ、どうでもいいようなことだけど、せっかくなので。

 

 

 

何でもかんでも、おバカのせいに

繰り返す~このポリリズム~ああプラスチック~みたいな総理だ~(総理だ)~(総理だ)~(エコー)。

 

あれ総理がまた、自民党の党首に選ばれたそうです。

第二次世界大戦のときに、ヒットラーがあれだけのことを起こした、みたいな言い分というか言い方があるけど、もしかしたら今度は、「一人のおバカが、戦争を起こした」とか言いたい人が、わざと選んだんじゃないのかなあとか勘繰りたくなります。

もし、多少なりとも筋の通った人だったら、まずやっちゃまずいことはわかるだろうけど、その際には「なぜ、ああなったのか」という分析が必要になるし、もしかしたら筋道の通った答えが出てきてしまうかもしれません。

だけど、昔の天皇制とかがめちゃくちゃだったみたいに、総理がめちゃくちゃにアホだったら、ひとえに「アホのせい」にできるのではないかと。妄想ですが。

何でもかんでもみんな、おバカがかぶっているよ~♪

という事態を望んでいる人がいるのでは?

一昔前、「おバカ」が流行ったけど、総理までおバカだと、なんかもうなんていうか、乾いたウエットティッシュアスファルトに張り付くと非常にめんどうくさいように、そして雨の日に、濡れた卵の殻が路面に張り付くと、まずこれを取り除くことは不可能(?)なように、骨のあるやつは苦労をなめさせられるのではないでしょうか。

いやだなー。もう外国に逃げたいです。まじで。

 

なんかすごかったこと

この前ハイキングに行って、海岸を歩いていたら、すごい光景に出くわしました。

海岸沿いの道路は、少し高いところにあって、護岸→岩→ちょっと砂→テトラみたいになってて、その砂地のところに潮が満ちてきていました。

護岸と、出っ張った岩と、テトラの間に、イワシみたいな青背の魚がたくさんいて、それをクロダイみたいな大きな魚が、数匹で取り囲んで、隅っこに追い込んで食べようとしていました。

上から見ると、慌てているイワシ(結構大きい)を下から急浮上して食べようとしてたり、とにかく「わーすごいっ」っていう風景でした。

ぜひ釣り人がいたら教えてあげたいと思い、近くの海岸にいた若い男性二人連れに声をかけたら、わざわざ上まで上がってきてくれました。だけど、「底釣りの仕掛けしか持っていないから、いいです」と言われていまい、なんともったいない、と思いました。

そんなことがあるんだけど、なぜか「魚がいるところには釣り人がいない」というこの現象、あちこちで見かける気がします。だけど、魚が釣り人から逃げているだけかもしれません。

とりあえず今度は、釣り針を持って出かけようかなと思いました。だけど氷がない…。

磯でタコを見たこともあるけど、タコの迫力と、「クーラーボックスがない」という事実に簡単に負けてしまい、捕まえませんでした。

あと家に帰ってからさばくのも面倒だし。その場で塩焼きにしようにも、火もないし、時間もないし。文明人は弱いものだなと思いました。

許さなくていいこと

世の中には、許しを勧める人がいます。

私は、許す許さないと、その人に復讐したり暴力をふるったり、あるいは刑罰をくわえる、くわえないと言うのとは、まったく関係がないと思います。

罪を憎んで人を憎まず、というけど、その人が憎い間は憎んでればよくて、もうどうでもよくなったらほっといたらいいだけだと思います。

それから、ごめんで済むなら警察いらんと言うけど、許せないことは許せなくていいし、それは別に誰にとっても危険はない、当り前のことだと思います。

被害者に向かって、許しを進めるのは、危ないと思います。

そういうのは宗教であって、そう信じたい人が勝手に、自分で信じてればいいだけの話であって、許さない人は健康を害するとか、許せば楽になるとか、言うこと自体が暴力だと私は思います。

なんでこんなしょうもないことを言わなければいけないかと言うと、「許せ」というメッセージをわざわざ、発する人がいるからです。

世の中には、許せないことだってあります。だけど、だからと言ってその許さない当人が何か困ったことにでも、なるんでしょうか。

なんだかよくわかりません。差別だって許せないし、暴力だって許せないのに。

被害者が復讐心を持っている場合もあるけど、それと実際に行動に移すのとは、全然違うし、復讐心を持っていない場合だってあるのに、なぜ「許せ」と言うのでしょうか。

被害者には、加害者を許す義務もないし、関係を修復する義務もありません。家族でも親でも、同じことです。

被害者に対し、加害者の状態も問わず、一方的に許しを脅しで進める(健康を害する、などと言って)のは、悪質ではないでしょうか。

被害者だって色々な人がいるんだから、どんな気持ちを持っていたって自由です。殺してやると思ったって全然かまわないし、思っていなくたって普通だと思います。

人にある感情を強要するのは、暴力だと思います。